すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、すべての人が歪んでいます。
この世界において、正しい人は存在しません。
すべての人が正しくありません。
すべての人が間違っているのです。
そのため、自分の信じる正義を振り翳(かざ)して、誰かを責めるのは間違っています。
もちろん、それは相手のことを思って叱(しか)ることとは異なります。
未熟な者が、自分の(利益や立場の)ために誰かを責めるのが間違っているということなのです。
すべての人が未熟です。
それは、すべての人が問題を抱えるということなのです。
すべての人が問題を引き起こします。
すべての人が問題を生じさせる原因を所有しているのです。
この世界においては、すべての人が裁かれます。
すべての人が因果の仕組みによって、その報(むく)いを受けることになるのです。
多くの人は、自分を正しいと思い込んでいます。
そして、誰かが間違っていると思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたも相手も間違っています。
そのため、両者とも裁かれるのです。
人が因果の仕組みによる裁きを免(まぬが)れることはできません。
あなたは必ず、自らの因果によって裁かれるのです。
裁きを避けることはできません。
それは、すべての行為が間違っているからです。
あなたにできることは、間違った行いの中から、出来る限り相手のことを思った行いを選ぶことです。
未熟な人間が、自分のために選ぶ行為というのは、必ず間違っています。
未熟な人間にできることは、相手のことを思った行為を選択するということだけなのです。
自分のための行為よりも、相手のための行為の方が有意義であるのです。
あなたは相手のために行為するのであれば、それは少なからず、自分のための行為よりも良い裁きを受けるでしょう。
すべての人が裁かれます。
人にとって、裁きは自然です。
そのため、裁きを恐れる必要はありません。
大切なのは、どう裁かれるのか?ということです。
間違っている方法の中から、少しでも正しい方法を選択するのです。
しかしながら、未熟なあなたには判断することができません。
そのため、自分のためではなく、相手のために行為するということなのです。
あなたがどのような行為を選択しても問題はありません。
あなたのすべての行為が裁かれます。
それが相手のためになりそうか?ということだけ気にしておきましょう。
喜んでも、怒っても、悲しんでも、楽しんでも良いのです。
しかしながら、自分のためにそれを行ってはなりません。
相手のためにそれを行うのです。
相手のために行うことは、自分にとっての不利を導くと考える人もいるでしょう。
しかしながら、相手のための行為が不利な結果を導くことはありません。
相手のための行為は、直ぐには結果を導きません。
それは相手を経由して自分に導かれる豊かさなのです。
自然は、多くの過程を経由して豊かさを導きます。
直接は飲むことのできない海水も、山に降れば飲むことができるのです。
自分のために行為するということは、海水を飲むようなものです。
それは、苦悩を導くのです。
あなたは心配することなく、相手のために行為しましょう。
それが、未熟なあなたの最善です。
自分のために行為すれば、乏しさが導かれるでしょう。
直接的に利益を求めてはなりません。
欲に従ってはなりません。
あなたは、この世界の理(ことわり)に従いましょう。
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