この世界における一切には、大切な意味があります。
どのような存在も、意味を以(もっ)て存在しているのです。
不要な存在はありません。
無駄な存在はないのです。
すべてが大切な役割を担い、すべてに価値があるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
多くの人は、ものの価値を見失っています。
すべてに意味があるということを忘れているのです。
それは、人がその弱さ故(ゆえ)に都合を重視するからです。
多くの人は、自分にとって都合の良いものに価値を見出します。
自分にとって都合の悪いものには価値を見出すことをしません。
そのため、この世界には価値と無価値、意味と無意味が生じるのです。
しかしながら、そのような矛盾は存在しません。
自分の都合によって価値の無いように思えるものにも、大切な価値があります。
無意味に思えるものにも意味があるのです。
それを理解するためには、全体性を理解する必要があります。
全体性を理解することがなければ、すべてに大切な意味があることを理解することはできないのです。
例えば、自然界には無意味なものはありません。
無意味に思えるのは、その働きを理解してはいないからです。
全体を俯瞰(ふかん)した時、その繋がりを知ることができるでしょう。
しかしながら、無意味に思えるものを部分的に見ている時には、他との繋がりを知ることができません。
他との繋がりを知ることができなければ、その意味を理解することはできないのです。
機械には、不要な部品はありません。
必要であるために、その部品が備わっているのです。
自分の都合によって、その部品を取り除いてしまえば、問題が生じてしまうのです。
その機械には、その部品が必要なのです。
都合とは、感情に過ぎません。
感情とは、思考の作用です。
思考とは、主観です。
それは、偏見に過ぎないのです。
偏見によって、ものの意味や価値を見出すことはできません。
偏見に頼らず、全体を俯瞰する必要があるのです。
そうすることによって、あなたは人生の意味や価値を見出すことができるのです。
すべての人には、存在意義があります。
あなたという存在は無意味でも、無価値でもないのです。
大切な意味と価値を持っているのです。
それは、問題を解決することによって見出すことができるでしょう。
人の存在意義は、問題を解決することにあるのです。
人は、何かしらの問題と向き合い、それを解決することによって存在意義を見出すのです。
すべての人が問題を抱えています。
大なり小なり問題はあるのです。
自分の問題もあれば、他者の問題もあります。
社会の問題もあれば、人類の問題もあるのです。
そのため、問題がなくなることはありません。
あなたは常に、問題と共に生きているのです。
それは重要なことです。
問題と向き合い、それを解決することによって存在意義を見出すことができるのです。
言い方を変えれば、問題によって充足を得ることができるということなのです。
多くの人は、偏見によって自分の都合を優先します。
偏見に従えば、問題は抱えない方が価値があるのです。
しかし、本当にそうでしょうか?
問題に価値を見出すことができないというのであれば、改めて現状を俯瞰してみましょう。
偏見に従っている人が、どのような現状を生きているのかを観察してみましょう。
そうすれば、自分がどうするべきなのかを知ることができるでしょう。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、何かしらの問題に向き合い、それを解決するために尽力しましょう。
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