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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年6月5日月曜日

観念の家

人生は、観念によって築かれます。
あなたの人生は、あなたの観念の形そのものなのです。
すべての人の人生が、所有する観念に起源します。
人は、観念を離れた人生を生きることはできません。
人が人生において経験する状況は、その観念に相応しいものに収まるのです。
どのように努めようとも、人生が観念を離れることはありません。
どのような画策も意味を成しません。
すべては、観念に従っているのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因に相応しくない結果を得ることはできないのです。
人生の原因は観念です。
それは、あなたの思考も行為も観念に起源しているからです。
あなたは、自らの所有する観念に従って思考し、行為します。
それ以外の選択を導くことはできないのです。
あなたは、自らの人生が観念に従っているということを知りましょう。
そして、物事に対する直接的な手法を改めなければならないのです。
例えば、金銭を求めて賭博(とばく)に努めたり、盗みを働くようなことがあってはならないのです。
金銭を必要とするのであれば、その金銭を受けるに相応しい自己を形成する必要があります。
器が無ければ、受けることができないのです。
金銭を求めるのであれば、誰かや社会に貢献する働きを導く観念を育む必要があるのです。
間接的な手法とは、本質的な手法です。
直接的な手法は、表面をなぞるだけなのです。
浅はかな観念を所有する者は、物事に対して直接的な手法を用います。
それは、知らないからです。
無知な者は、間違える以外に方法はないのです。
大切なのは、観念を育むことです。
観念は、未知の知識と経験によって育まれます。
観念を育みたければ、知らないことを学ばなければならないのです。
多くの人は、既存の観念に止まります。
多くの人は、学ぶ意欲を持たないのです。
多くの人は、未知を恐れます。
多くの人は、既存の観念によって築かれる人生に満足して(もしくは諦めて)いるのです。
残念ながら、変化を受け入れることができなければ衰退(すいたい)します。
既存の観念に止まることは、苦悩を意味しているのです。
多くの人は苦悩を嫌います。
しかしながら、変化を嫌うのです。
矛盾は苦悩なのです。
あなたは知らない観念を求めなければなりません。
その観念が変化し続ける必要があるのです。
変化しない観念を喜ぶ者と共に衰退してはなりません。
学ぶ意欲のない者と止まってはなりません。
変わりたくない者は見捨てましょう。
それ以外に方法はありません。
人は、相応しい場所を得るのです。
観念の異なる者を無理矢理に引き連れていくことはできません。
すべての人が理解し合うことはできません。
人は、観念によって区分されるのです。
ただし、どのような他者も軽んじてはなりません。
観念が異なるということは、隣人(りんじん)と付き合うことと等しいからです。
隣家(りんか)には隣家の観念があります。
それが異なっていても良いのです。
しかし、共に住むことはできません。
人は、観念という家に住んでいるということを知りましょう。

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