人生は、観念によって築かれます。
	あなたの人生は、あなたの観念の形そのものなのです。
	すべての人の人生が、所有する観念に起源します。
	人は、観念を離れた人生を生きることはできません。
	人が人生において経験する状況は、その観念に相応しいものに収まるのです。
	どのように努めようとも、人生が観念を離れることはありません。
	どのような画策も意味を成しません。
	すべては、観念に従っているのです。
	この世界には、因果の仕組みが存在しています。
	原因に相応しくない結果を得ることはできないのです。
	人生の原因は観念です。
	それは、あなたの思考も行為も観念に起源しているからです。
	あなたは、自らの所有する観念に従って思考し、行為します。
	それ以外の選択を導くことはできないのです。
	あなたは、自らの人生が観念に従っているということを知りましょう。
	そして、物事に対する直接的な手法を改めなければならないのです。
	例えば、金銭を求めて賭博(とばく)に努めたり、盗みを働くようなことがあってはならないのです。
	金銭を必要とするのであれば、その金銭を受けるに相応しい自己を形成する必要があります。
	器が無ければ、受けることができないのです。
	金銭を求めるのであれば、誰かや社会に貢献する働きを導く観念を育む必要があるのです。
	間接的な手法とは、本質的な手法です。
	直接的な手法は、表面をなぞるだけなのです。
	浅はかな観念を所有する者は、物事に対して直接的な手法を用います。
	それは、知らないからです。
	無知な者は、間違える以外に方法はないのです。
	大切なのは、観念を育むことです。
	観念は、未知の知識と経験によって育まれます。
	観念を育みたければ、知らないことを学ばなければならないのです。
	多くの人は、既存の観念に止まります。
	多くの人は、学ぶ意欲を持たないのです。
	多くの人は、未知を恐れます。
	多くの人は、既存の観念によって築かれる人生に満足して(もしくは諦めて)いるのです。
	残念ながら、変化を受け入れることができなければ衰退(すいたい)します。
	既存の観念に止まることは、苦悩を意味しているのです。
	多くの人は苦悩を嫌います。
	しかしながら、変化を嫌うのです。
	矛盾は苦悩なのです。
	あなたは知らない観念を求めなければなりません。
	その観念が変化し続ける必要があるのです。
	変化しない観念を喜ぶ者と共に衰退してはなりません。
	学ぶ意欲のない者と止まってはなりません。
	変わりたくない者は見捨てましょう。
	それ以外に方法はありません。
	人は、相応しい場所を得るのです。
	観念の異なる者を無理矢理に引き連れていくことはできません。
	すべての人が理解し合うことはできません。
	人は、観念によって区分されるのです。
	ただし、どのような他者も軽んじてはなりません。
	観念が異なるということは、隣人(りんじん)と付き合うことと等しいからです。
	隣家(りんか)には隣家の観念があります。
	それが異なっていても良いのです。
	しかし、共に住むことはできません。
	人は、観念という家に住んでいるということを知りましょう。
	
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