あなたは、全体に対して貢献する必要があります。
	それは、あなたの人生を豊かなものにするための必須条件です。
	全体に対して貢献することの無い者には、豊かな人生は与えられないのです。
	多くの人は、自力によって豊かさを獲得できると考えています。
	しかしながら、豊かさとは与えられるものであって、獲得するものではないのです。
	例えば、あなたが独りで豊かさを得ることができるでしょうか?
	他者や他の生命体などの、自分以外の存在によって豊かさが与えられているのです。
	自分以外の存在から豊かさを獲得するのであれば、自分以外の存在から拒絶されてしまうでしょう。
	自分以外の存在から拒絶されて、どのようにして豊かさを実現するというのでしょうか?
	あなたがどれだけ自信を抱いていたとしても、自分以外の存在から豊かさを与えられることがなければ、人生を豊かなものにすることはできないのです。
	あなたは豊かさを奪うことはできないのです。
	そのことを覚えておかなければなりません。
	傲慢(ごうまん)な者が豊かさを得ることはないのです。
	謙虚(けんきょ)でなければ、決して豊かさを得ることはできないのです。
	謙虚であるということは、自分以外の存在を大切に扱うということなのです。
	傲慢に陥(おちい)れば、人は自分以外の存在を蔑(ないがし)ろに扱うようになるのです。
	それでは、豊かさを得ることはできないのです。
	自分以外の存在に貢献することがなければ、豊かさを与えられることがないということを覚えておきましょう。
	誰かや何かに貢献することがなければ、何事も上手くいきません。
	貢献を欠いた計画は必ず頓挫(とんざ)します。
	豊かさを奪おうとする企(たくら)みは、大きな負債を残すのです。
	この世界には、因果の仕組みという理(ことわり)が存在しています。
	誰も、自らの因果から逃れることはできません。
	人は、自らに相応しい報(むく)いを受けるのです。
	それは避けられないことなのです。
	与えられば与えられ、奪えば奪われます。
	因果は必ず巡るのです。
	そのため、あなたが豊かさを欲するのであれば、貢献する必要があるのです。
	あなたは全体のために個人(自分)を考えなければなりません。
	あなたが自分自身を考える時には、前提として全体性がなければなりません。
	あなたは飽(あ)く迄(まで)、全体の一部であるのです。
	そのため、あなたは、相手のために自分のことをしなければなりません。
	自分のやりたいことが、誰かの役に立つように努める必要があるのです。
	誰かや何かに貢献することがなければ、その働きには価値がないのです。
	あなたは誰かのために自分のことをしましょう。
	しかしながら、相手の重荷を肩代わりしてはなりません。
	相手には、相手の学びがあるのです。
	相手の学びを邪魔することは許されません。
	そのため、相手を助けようとする余り、出過ぎた真似をしないように注意しましょう。
	相手の重荷(苦悩であり、学び)を肩代わりすることは、相手の成長の機会を奪う行為となるのです。
	多くの人は、思いやりによって、相手の負担を減らそうとして、相手の重荷を肩代わりしようとするのです。
	しかしながら、それは相手のためにはなりません。
	それは、必要な経験を奪うという行為であるからです。
	相手に貢献しようとして、邪魔をしているということがあるのです。
	本当に相手に貢献したいと考えているのであれば、相手の重荷は相手に任せるのです。
	あなたには、自分の重荷があります。
	自分の重荷を運ぶことすら出来ない者が、相手の重荷を肩代わりすることは不可能です。
	あなたが相手に貢献したいと考えているのであれば、相手の前で自分の重荷を運んで見せれば良いのです。
	それで、相手は甘えを手放すことができるでしょう。
	甘えを手放せば、誰でも自らの重荷を自分で運ぶことができるのです。
	相手に貢献するということは、相手の成長を手助けするということです。
	相手の代わりに自らの力量を自慢することではないのです。
	自分の重荷も満足に運ぶことができないのに、偉そうに講釈(こうしゃく)を垂れることでもないのです。
	あなたは相手のために自分の重荷を運びましょう。
	そうすれば、相手はあなたのために自分の重荷を運ぶはずです。
	そうやって、豊かさを与え合うのです。
	それ以外に人生を豊かにする方法はありません。
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