すべての人の心には、空虚が存在しています。
	空虚を所有しない人の心はありません。
	どのような人物であろうとも、心の中に虚しさを抱えているのです。
	多くの人は、都合の良いものを重要視しています。
	自分にとって都合の悪いものを軽視します。
	多くの人にとって、空虚は不都合です。
	それは、恐怖の感情に繋がっているからです。
	人は恐怖の感情を嫌います。
	それに属する怒りや悲しみ、寂しさや虚しさを嫌うのです。
	恐怖の感情は不都合であり、それを否定します。
	多くの人は、空虚を否定するために、それを埋めようと努めるのです。
	多くの人が空虚を悪いものだと考えています。
	そして、それを誰かや何かを利用することによって目を逸(そ)らしているのです。
	空虚に向き合うことは簡単なことではありません。
	それは、多くの人がそれを悪いものだと決め付けているからです。
	都合の良いものばかりであれば、豊かさは導かれません。
	豊かさは、あなたの都合に従っては成り立たないのです。
	寧ろ、あなたにとって都合の悪いものによって、豊かさは導かれるでしょう。
	それは、あなたが未熟であり、歪んでいるからです。
	この世界は、様々なものが複雑に関連しています。
	複雑に関連することによって、豊かさが導かれる仕組みとなっているのです。
	未熟であり、歪んでいる者には、そのことが理解できません。
	そのため、不都合を否定して豊かさを得ようとしているのです。
	しかしながら、その行為は矛盾を導きます。
	豊かさとは、好都合と不都合の関連によって導かれるからです。
	未熟者は、全体の一部を理解するにとどまります。
	そのため、判断を誤るのです。
	大切なのは、全体を見極めることです。
	自らの理解することができる一部分を切り取って、理解したと思い込んではなりません。
	都合の良いものも、都合の悪いものも、同時に存在して良いのです。
	好都合と不都合が同時に存在しているのが自然なのです。
	そのため、人の心に空虚が存在することは自然です。
	あなたはそれを否定し、誰かや何かによって無理に埋めようとしてはなりません。
	空虚には空虚の役割があります。
	その力を活用する必要があるのです。
	心が虚しい時は良いのです。
	空虚は、未知の発想を導くことができるからです。
	心の中に何も無ければ、あなたが捕らわれることはありません。
	空虚は可能性を見出すということを覚えておきましょう。
	心が何かで満たされていれば、既知を延長した発想しか導くことができないのです。
	心の中に何かが有れば、あなたは捕われてしまうでしょう。
	満足は可能性を見失うということを覚えておく必要があるのです。
	満足は、停滞です。
	満足することは大切ですが、それを続けてはなりません。
	満足とは、旅路の休息のようなものだからです。
	休息を続ければ、旅路を進むことはできないのです。
	人は不足(虚しさ)によって先を進むことができるのです。
	多くの人は空虚を嫌います。
	そのために、何かに捕われ、停滞するのです。
	満足とは思い込みであり、錯覚(さっかく)に過ぎません。
	休む時間よりも、歩む時間が多くなければなりません。
	空虚こそが、あなたの足なのです。
	安易に空虚を嫌ってはなりません。
	心の中を何かで満たそうと慌ててはなりません。
	
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