誰もが、自分自身と向き合わなければなりません。
誰もが、自分自身の心と向き合う必要に迫られます。
人生とは、自分自身との対話です。
あなたは常に自分自身を見せられます。
それは、すべての状況において現れます。
すべての状況があなたの心の現れです。
あなたは常に自分自身の心を体験しているのです。
それ以外はありません。
あなたが自分以外の誰かの心を体験することはありません。
あなたに関係の無いことは存在しないのです。
あなたはすべての状況を、自分自身のこととして考えなければなりません。
すべての人は自分自身の心を体験します。
それは、この人生の目的が魂の成長にあるからです。
魂の成長のためには、心の歪みを解消する必要があります。
心とは、魂の汚れであるのです。
そのため、心とは歪んでいるのです。
心が歪んでいない人は存在しません。
どのような人物であろうとも、心を所有している時点において、それは歪んでいるのです。
心と向き合うということは、自分自身の歪みと向き合うということです。
それは、あなたに苦悩を導きます。
人生に苦悩しない人はいません。
どのような人物であろうとも、必ず苦悩と共に生きなければならないのです。
すべての人は必ず不安を抱えます。
人生において、その心から不安が消え去ることはありません。
不安は常に生じ、あなたは不安と共に生きることを強制されます。
不安の存在しない人生など無いのです。
生きるということは、不安との対峙です。
不安に向き合うことが生きるということなのです。
そのため、あなたは不安を観察しなければなりません。
不安を観察し、不安の姿を理解し、それを癒す必要があるのです。
不安の解消こそが、心の歪みの解消です。
それが人生の第一目的であるということを忘れてはなりません。
不安を抱えることは良いことです。
もしも、不安がないというのであれば、それは自己正当化によって不安というものを隠しているか、それを認識することができていないだけなのです。
不安の存在しない心は存在しません。
心は魂の歪みであるからです。
心から不安が存在しなければ、矛盾を抱えることになるのです。
心が不安になることが自然です。
あなたは、不安に対して恐る必要はないのです。
不安であって良いのです。
不安を大切にしなければなりません。
すべての人が不安を抱えています。
しかしながら、そのようには見えないものです。
そのため、多くの人は無意識の内に自分自身の不安を実体よりも大きなものとして作り上げてしまうのです。
あなたの抱えている不安は、あなたの考えているようなものではないのです。
素直に向き合えば、簡単なものなのです。
心は複雑に歪んでいるように見えますが、実は単純に歪んでいます。
それは、人が考えることなど、簡単なことでしかないからです。
歪んだ心が思い付くことなど、簡単なことでしかないのです。
もしも、心が高度なことを思い付くのであれば、歪んではいない状態でなければ不可能です。
あなたは不安の実体を捉えなければなりません。
それは、単純な理由であり、簡単な問題であるのです。
それは誰にでも解決することができます。
ただ、向き合えば良いだけです。
向き合えば、誰にでも解決方法が見付かるのです。
あなたの不安は自分自身の力によって解消することができます。
あなたを救うのは、外部の誰かや何かではありません。
必要な道具は、あなたの内に備わっているのです。
不安に飲み込まれてはなりません。
不安であっても問題ではないことを知り、不安を楽しみましょう。
不安であることが自然であると知るだけで、糸口が見付かるでしょう。
私が何を求めているのか
返信削除私がどこに向かおうとしているのか
この先が見えません。
毎日楽しくないんです。
楽しいふりをしていますが、何をやってるんだろうと我にかえってはむなしくなります。
あなたがたに背中を押されている気がしますが、それを認めたくない自分もいます。
私は 何のためにここにいるのでしょうか。
匿名さんへ
削除それを探すのが人生ですよ。
人は誰もが魂の納得する道を探さなければなりません。
そのためには、自分自身に向き合う以外に方法はないと思います。
ただ、自分自身に向き合う時には必ず不安が生じるために、普段は他の楽しみで紛らわせています。
それが他人や場所、過去や未来への依存へと繋がります。
それが、世の中であり、人の姿ですね。
それが悪いということを言いたいのではありませんが、あなたが疑問を抱えているのであれば、別の方向性によって新たな可能性を得る必要があると思います。
普通、人の意識は生存のために外へと向かい、内へ向かうことは少ないと思われます。
そのバランスを少しだけ変えることによって、心境が変わるはずです。
心境が変わることによって選択肢が変わり、人生に対する価値観も変わるでしょう。
楽しくないのであれば、その道は限界です。
見方を変える必要があると思います。
わたし達にできることはその程度のことだと思います。
具体的な方法を探す必要はないと思います。
見方を変えることによって、新たな必要が見えてきます。
新たな必要が具体的な方法を教えてくれるはずです。
人生というものは、自分そのものですね。
夜遅くにもかかわらずありがとうございます。
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