人は真実を求めなければなりません。
	真実を求めなければ、あなたが本当の意味において満足することはないのです。
	偽りの満足はやがて崩壊します。
	偽りの満足にいつまでも満足することはできません。
	いつかはそれが偽りであると気が付くのです。
	その時には、偽りの満足に満足していたことを恥ずかしく思い、絶望を味わうでしょう。
	偽りの満足に満足していてはなりません。
	しかし、あなたには真実を見極めることが難しいのです。
	なぜなら、真実とは純粋な状態であるからです。
	何かを足したり、何かを引いたものは真実ではありません。
	しかし、世界には偽りが溢れています。
	大抵のものが偽りであるのです。
	それは、純粋な状態を保てず、何かを足したり引いたりしているのです。
	あなたは自分が受けたり発したりしている感情を真実の愛だと考えているでしょう。
	しかし、人の愛が純粋であることは稀(まれ)です。
	人の世には、真実の愛というものが一欠片(ひとかけら)も存在してはいないと考えなければなりません。
	多くの人は真実の愛を探し求めていますが、それを手にすることはできません。
	それは、人が真実を知らないからです。
	真実とは純粋です。
	純粋とはすべてです。
	何かを足しても引いてもなりません。
	ありのままの状態こそが、純粋であるのです。
	損得感情によって、人は物事を分け隔てます。
	利害関係によって、人は純粋を歪めてしまうのです。
	苦しいことに会った時、人はそれを否定します。
	嬉しいことに会った時、人はそれ以外を忘れます。
	これ等の状態が純粋であると言えるのでしょうか?
	100%オレンジジュースは、果肉だけを絞ったものではないはずです。
	果皮(かひ)を含めてオレンジという果実であるはずです。
	果皮を取り除いて作るジュースは、100%(真実)とは言えないのです。
	この世界には陰陽の仕組みが存在しています。
	すべての存在が陰と陽のエネルギーを所有しています。
	陰だけ、陽だけのエネルギーを所有するものは存在しません。
	大きく分けたこの二つの性質をどちらも認めることがなければ、純粋な状態を得ることなどできないのです。
	苦しいことに対する苦しみとは真実ではありません。
	嬉しいことに対する喜びも真実ではないのです。
	苦しいことには、苦しいことと嬉しいことが存在しているはずなのです。
	嬉しいことも同じなのです。
	果皮を捨てておいて、真実を得ることなどできないのです。
	果皮の味を含めてオレンジの真実の味であるのです。
	あなたが信じているものは純粋な状態を保っているでしょうか?
	善悪を超越しなければ真実を得ることなどできないのです。
	純粋とは”神”そのものです。
	善悪を超越すれば、あなたは”神”に近付くことができるでしょう。
	”神”の世界に偏見は存在しません。
	善悪によって争いを伝える教育は、真実ではないということを理解する必要があるのです。
	果皮を捨てて、果肉だけを取ってはなりません。
	あなたの中に存在する陰陽のエネルギーを一つに束(たば)ねましょう。
	すべての事柄に関して分け隔てをなくすのです。
	そうでなければ、いつまでも偽りの満足に絶望し続ける人生を生きなければならないのです。
	偽りの満足であっては満たされません。
	水を飲んだという思い込みだけでは、喉(のど)は潤わないのです。
	真実を求めましょう。
	物事を純粋に捉えるのです。
	無意味なものも、無駄なものもありません。
	「すべては一つ」なのです。
	
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