無知な者に知恵の助けは届きません。
	無知な者は、知恵を受け入れることができません。
	どれだけ優れた知恵を受けようとも、それが優れていると理解することができないのです。
	優れていると理解しないものを受け入れることはないのです。
	そのため、無知な者には知恵の助けが届かないのです。
	知恵の助けのない者は、愚かに生きる他ありません。
	知恵が無いために愚者と呼ばれるのです。
	愚者には聞く耳がありません。
	自分自身の主張を押し付けることに専念し、それによって自らの尊厳(そんげん)を保とうし、知恵を失うのです。
	聞くことがなければ知恵が増すことはありません。
	受け入れることがなければ、向上することはないのです。
	話を聞かなければなりません。
	愚かな者が話を聞かないのであれば、一層その愚かさを増すことになるのです。
	話を聞かない者に話はできません。
	それは、聞き入れられないからです。
	話をしても意味がないのです。
	そのため、知恵のある者は愚者には話しません。
	そのため、愚者は知恵の助けを受けることはありません。
	その結果として苦しむことになります。
	しかし、愚者にも救いはあります。
	愚者は苦しむことによって救われるのです。
	苦しみとは救いです。
	しかし、愚者には知恵が無いためにそのことを理解することができません。
	苦しみを否定し、そこから逃れようとします。
	しかし、苦しみから逃れることはできません。
	どこで、誰と、何をしようとも、苦しみは因果の仕組みによって導かれるのです。
	それから逃れる方法はありません。
	愚者はそれでも逃げようとします。
	しかし、いつかは逃げられないということに気が付くのです。
	その気付きこそが知恵であり、救いであるのです。
	苦しみから逃れられないと気付けば、苦しみに向き合うようになります。
	苦しみに向き合うのであれば、その原因である自分自身に向き合うことになるのです。
	それによって自らを反省し、聞く耳を持つようになり、知恵を受け入れるようになるのです。
	人生の目的は成長にあるため、あなたは成長することから逃れることはできません。
	すべての状況は成長のために導かれます。
	それが苦しみであろうとも、成長のために導かれるという知恵を受け入れる必要があるのです。
	聞かない者、聞き入れられない者は知恵を受けることはできません。
	自分が正しいと思い上がっている者は苦しまなければならないのです。
	奇跡的に愚かな者が苦しみに会わないということなど有り得ません。
	この世界には奇跡などという不自然なものは存在しないのです。
	すべてが自然の中に存在し、説明することができる当然の結果だけであるのです。
	無知な者は必ず苦しみます。
	知恵を受け入れることができない者は苦しむのです。
	それは、当然の結果であるからです。
	あなたは聞く耳を持たなければなりません。
	自分が正しいと思っても、自分が正しいと思い込んではなりません。
	相手が間違っていると思っても、相手が間違っていると思い込んではなりません。
	正しいのは”神”だけであり、正しい人など存在しないのです。
	そのことを理解しなければ、知恵の助けは受けられないのです。
	柔軟でありましょう。
	頑なに生きてはなりません。
	自分が無知であるということを理解し、無知に陥らないように努めなければなりません。
	
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