人は自らの立場を理解しなければなりません。
多くの人は自らの立場を理解してはいません。
自らがどのような立場にあるのかを知らないでいるのです。
そして、自らの小さく歪んだ価値観が導き出した立場を妄想し、それに正義を掲げるのです。
しかし、それは偽りの正義を掲げているに過ぎません。
自らの立場を弁(わきま)えてすらいない者が、どうして正しい義を貫(つらぬ)くことができるというのでしょう?
自分がどこにいるのか?
どのような役割を担っているのか?
何をするべきなのか?
誰なのか?
これ等に答えることができなければ、立場を理解することはできません。
このような基本的な知識を持たずに、義を果たすことなどできるはずがないのです。
立場を理解しない者の行為は愚かです。
何をやっても、それは愚行として導かれます。
なぜなら、立場を弁えていないために、すべての行為が見当はずれであるからです。
理解によって、何事も正しく行うことができます。
理解することがなければ、正しく行うことなどできないのです。
多くの人は、自らの立場を理解していると考えています。
そして、自らの行為が正しいと思い込んでいるのです。
その人が自らの立場を理解しており、その行為が正しいものかは、結果によって知ることができます。
その人が苦悩に合わなければ、その理解と行為は正しいものであるでしょう。
賢者に戒(いまし)められなければ、それは正しいのです。
賢者とは、真理に近い立場を得る存在です。
それは、人に限りません。
真理ですら、賢者の一人なのです。
与えられる結果が”良いもの”であるのならば、その行為は立場から生じたものであるのです。
それは、真の満足と豊かさを導きます。
自らの立場を理解しない愚かな者には、真の満足と豊かさが導かれることはありません。
何を得てもその渇(かわ)きが潤うことはなく、何を得てもその飢えが満たされることはないのです。
そのため、立場を理解しない愚かな者は貪欲(どんよく)に付き纏(まと)われ、繰り返しの中に溺れ死ぬのです。
自らの立場を正しく理解しているのであれば、その時に必要な選択と対応を導き出すことができます。
そのような人は問題に会うにしても、それに苦悩することはないのです。
しかし、立場を理解していない愚かな者であっても、すぐに苦悩が導かれるとは限りません。
それは、蒔かれた種がすぐには実を収穫させないのと同じです。
それは、徐々に現れ、気が付いた時には手遅れであるのです。
そのため、愚かな者は収穫の時に大きく苦悩することになるのです。
因果の仕組みによって、すべては正しく導かれます。
立場に相応しい行為によってのみ、真の満足と豊かさが導かれます。
多くの人は驕(おご)り高ぶっています。
自分が”偉い”と思い込んでいるのです。
そして、自分が役に立っていると思い込んでもいます。
自分が何かや誰かにとって必要な存在だと思い込んでいるのです。
その結果、立場を弁えない愚行に走るのです。
愚かな者は、自らの立場に不釣り合いな選択をします。
稼ぎも無いのに贅沢に暮らそうとするのです。
知恵も無いのに褒(ほ)められようとします。
理解していないのに理解して欲しいと懇願(こんがん)します。
与えてもいないのに欲します。
愚行を以て許してもらおうとするのです。
人は自らの立場を理解しなければなりません。
立場を理解するならば、自らに不釣り合いな行為を続けることもないのです。
すべての苦悩は愚かさから生じます。
自らの立場を理解しない愚かさが、苦悩を引き起こすのです。
しかし、愚かな者はそのことにさえ気が付きません。
誰かや何かが悪いと考えるからです。
自らの立場が分かっていないのです。
愚かに生きるのをやめましょう。
自らを反省して、立場を弁えましょう。
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