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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年11月10日火曜日

真澄の心

人は澄んだ心を目指さなければなりません。
人の心は真澄(ますみ)を得なければならないのです。
生きるということは濁(にご)ることです。
人は人生に苦悩を得なければなりません。
それは、人生が自分自身の抱えている問題を解決するための場所であるからです。
自らの問題に向き合う時、人は苦悩を覚えるのです。
そのため、生きることは苦悩の連続です。
人は自らの弱さに出会うでしょう。
苦悩を覚える時、人の心は濁ります。
怒りや悲しみなどの否定的な感情が心に現れ、心を濁らせるのです。
多くの人は”時が解決してくれる”と考えています。
時間の経過と共に否定的な感情は去り、やがて穏やかな心境を得られると考えるのです。
確かに、時間の経過と共に否定的な感情はなくなり、やがて穏やかな心境を得られます。
時間の経過とは経験の上書きであり、様々な事柄によって否定的な感情を忘れていくのです。
しかし、それが心に真澄を実現させるのでしょうか?
忘れることによって、苦悩は無くなるのでしょうか?
泥水も、やがては澄んだ水となります。
そこに濁りはありません。
泥など初めから無かったかのように錯覚することさえあるのです。
しかし、水底には沈殿している泥を確認することができるのです。
水をほんの少しでも掻き混ぜれば、沈殿した泥は簡単に舞い上がり、再び同じような泥水を作り出すのです。
”時が解決してくれる”のでしょうか?
泥を取り除かない限りは、泥水が 純水になることはないのです。
”時が解決してくれる”と信じている人は、泥を取り除く努力を放棄します。
そして、臭いものに蓋(ふた)をするのです。
自分にとって都合の悪いものは忘れようとするのです。
しかし、同じような状況が必ずやって来ます。
その時には、忘れていた蓋が開き、臭いもの(苦悩)が再び現れるのです。
”時が解決してくれる”ことなどありません。
そのようなことがまかり通るのであれば、人が努力する必要などないのです。
苦悩する必要もなくなるのです。
しかし、人は努力を求められますし、苦悩が尽きることはありません。
それは、”時が解決してくれる”ことなど無いということを証明しているのです。
苦悩を忘れることができたからといって、その問題から解放された訳ではありません。
何かが苦悩という状態であるのならば、その問題はいつか必ずやって来るのです。
それでは、同じことを繰り返すだけなのです。
人生の目的は何でしょうか?
あなたは何のために生きているのですか?
同じことを繰り返すことに何の意味があるのでしょう?
あなたは成長を求められているのではありませんか?
人にとっての成長とは何でしょうか?
地位や名誉、金銭や物品を多く集めることでしょうか?
純真な心こそ、最高の宝だとは思いませんか?
純真な心を手に入れることができれば、あなたは欲するすべてを手にすることができるでしょう。
純真な心が求めるものは、何だって手に入るのです。
純真な心が求めるものを、この世界が否定するでしょうか?
あなたが真実の幸福を求めているのであれば、濁りを取り除いて澄んだ心を目指す必要があります。
濁っている幸福が、真実の幸福でしょうか?
真澄の幸福こそ、真実の幸福なのです。
”時が解決してくれる”ことなどありません。
そのような淡(あわ)い期待にしがみ付いてはなりません。
あなたは自らの否定的な感情(弱さ)に向き合い、それを心の底から取り除かなければならないのです。
その作業は大変なことですが、やる価値はあるのです。
真澄の心を手にするために、心の底(弱さ)へと向かいましょう。

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