表面的な見方であっては、本質を得ることはできません。
表面をどれだけなぞっても、決してその本質である意味を理解することはできないのです。
下書きをなぞることに何の意味があるのでしょうか?
下書きをなぞるだけでは、決して理解は深まらないのです。
多くの人が表面的な見方に終わります。
与えられたものを守ることに専念し、新たに創造することをしません。
与えられたものをそのまま守ることにどのような意味があるというのでしょうか?
それをそのままで守っていくのであれば、停滞を得るだけであり、それ以上の発展は得られないのです。
発展しないということは、滅びという名の苦しみが導かれるということです。
多くの人は守ることに意味があると考えています。
しかし、与えられたものが未熟な状態であっても、同じことが言えるでしょうか?
人間が受け継ぐものは、そのすべてが未熟な状態です。
しかし、それを守ろうとしか考えられない者にはそのことが理解できません。
現状維持が良いことであるとしか考えられないのです。
それが良いことなのでしょうか?
受け継いだものを発展させていかなければ、未来はないのです。
同じことを続けることにどのような未来があるというのでしょうか?
環境は常に変化しているのです。
しかし、その変化に対応することができないのであれば、滅びていくことは必至であるのです。
同じことを繰り返しているだけで、どうやって未来を得るというのでしょうか?
古い考え、古い価値観、古い生き方・・・
あなたは古いものを無条件で受け入れてはなりません。
正しく精査する必要があるのです。
古いものが悪いという訳ではありません。
温故知新(おんこちしん)という言葉があるように、古いものを参考にする必要はあります。
しかし、それは、新しいものを生み出すための作業であり、古いものに執着するということではないのです。
あなたは理由を説明しなければなりません。
なぜ、それを守るのですか?
どのような意味があるのですか?
知恵のある者が納得する理由を説明する必要があるのです。
若年者は、いつの時代も理由を求めています。
老年者は、いつの時代も説明不足です。
両者の間にはいつも葛藤(かっとう)が存在するのです。
それは、説明できないからです。
古いものを守ろうとする者にも、新たに創造する者にも、理由説明が求められます。
両者の主張は相容れないでしょうが、知恵のある者が聞いて納得する理由を説明する必要があるのです。
理由を説明することができなければ、それは偏見です。
そのような行為を通してはなりません。
正当な理由が発展を導くのです。
物事の本質を捉えなければなりません。
あなたが歳を重ね、若年者に会う時にはその理由を聞かれます。
あなたに知恵があれば、若年者が納得する理由を伝えることができるでしょう。
あなたに知恵がなければ、若年者から反感を受けるでしょう。
時代は変化し続けています。
時代に取り残されてはなりません。
歳を重ねれば、それだけで時代に取り残されます。
ただ生きているだけでは、知恵を増すことはできないのです。
表面的に見てはなりません。
何事も本質を見極めるように努めましょう。
常に発展を求め、そうなるように努めましょう。
いつまでも同じことを繰り返す必要などないのです。
真理に近付くのであれば、より核心的に変化していくはずなのです。
変化を恐れる愚か者は、時代に取り残されます。
どのように映る変化であっても、それは必要な変化であるということを理解し、受け入れ難いことではあれ、受け入れなければならないのです。
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