個体は全体の一部です。
	個体が全体を統べるのではありません。
	個体はあくまでも個体であり、全体の一部に他ならないのです。
	あなたは自分が、全体の一部である個体だと自覚することができるでしょうか?
	多くの人は自分が特別な存在であると考えています。
	確かに、すべての存在は須(すべから)く特別です。
	しかし、本来の特別というのは、他よりも優れているということではないのです。
	それぞれが特別な役割を担う全体の一部であって、全体を離れるという意味ではありません。
	存在に優劣はありません。
	多くの人は善悪によって、全体を分裂している状態にありますが、本来は善悪など存在しないのです。
	善悪や優劣によって、人は自らの正体を自覚することなく存在しています。
	自分が全体の一部である個体だということ、そして、それが本来の意味での特別な存在であるということを忘れているのです。
	それぞれが特別な役割を担っています。
	そして、それぞれが特別な役割を果たさなければならないのです。
	他者と同じことをしているのであれば、自らが特別であるということを見失ってしまいます。
	多くの人は歪んだ認識によって、歪んだ特別を自覚し、全体の一部でありながらも、特別であるということを見失っているのです。
	そのため、利己主義が蔓延(まんえん)する結果となっているのです。
	多くの人は自分勝手に生きています。
	自分さえ良ければ良いと考えているのです。
	全体の発展を考えることをせず、自分の利益と発展のみを考える人が多いのです。
	そのような考えの人は、自分を完全に見失っています。
	全体の一部である個体が全体を粗末にすれば、自らの危機であるということを知る必要があるのです。
	しかし、気が付きません。
	生命体としての特徴を持つ人間が、樹木を伐採(ばっさい)します。
	伐採自体を否定するのではありません。
	しかし、樹木は、生命体が生命活動を続けるためには必要不可欠な酸素を作り出しているのです。
	それを己の利益のために切り崩すのです。
	生命体としての人間は、自然と共に生きています。
	生命体としての人間は自然という全体の中に生きる小さな命です。
	しかし、己の利益のために環境を破壊しています。
	個体が全体の一部であるということを見失わなければ、このような愚行が行われるでしょうか?
	自然に由来する生命体としての人間は、主である自然を見失ってはならないのです。
	今日の社会は、利益を得るために全体を犠牲にします。
	自らが楽をするために、国や会社や肉親に依存するのです。
	自分が全体の一部であるということを知っているのであれば、反対にそれ等を助けるはずなのです。
	しかし、そのようには考えません。
	卑怯(ひきょう)な価値観がまかり通っているのです。
	その歪みは、全体を歪めます。
	全体が歪んでいるからといって、あなたが歪んではなりません。
	不正を働く者が多いからといって、あなたも同じように不正を働いてはなりません。
	多数派が正しいとは、誰が決めたのですか?
	根拠の無い情報を信用してはならないのです。
	常識とは、多数派の意見に他なりません。
	多くのルールは、多数派の意見によって覆るのです。
	そのため、常識やルールがそのように定められているからといって、それが正しいとは限らないのです。
	正しくないことと知りながら、多くの人はそれを行います。
	それは、その方が楽だからです。
	その方が、己の利益が多いからです。
	しかし、全体を崩すのであれば、すべての個体が崩れるようになるのです。
	それは、すべての個体は全体の一部であるためです。
	自分を全体とは離れた特別な存在だと勘違いしてはなりません。
	常識や利己主義に捉われてはなりません。
	そのような個体は、己の罪の前に栄誉を失うでしょう。
	全体の一部として、あなたは正しく行うのです。
	
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