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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年11月13日金曜日

知恵から生じたもの

あなたは何者をも侮ってはなりません。
何事をも軽んじてはなりません。
なぜなら、すべての存在が知恵によって生じたからです。
知恵によって生じた存在は、知恵を所有しているのです。
それは、その原因が知恵であるからです。
多くの人は他者や様々な状況を軽んじています。
それは、自分自身の価値観と合わないからです。
気に食わないものを否定しては、小さな自尊心を保っているのです。
無知がそのようにさせるのです。
知恵のある者は、安易に軽んじることはありません。
それがどのような存在であろとも、そこから学べることがあると知っているのです。
何かを否定している人は、そこからは学べない(学ぶことはない)と考えています。
それでは、その対象が持つ知恵を理解することができないのです。
すべての存在が知恵の原因を所有しています。
それを引き出すことができれば、知恵を得ることができるのです。
嫌悪感を抱く対象であろうとも、それは知恵によって生じました。
愚かに映る存在も、知恵によって生じたのです。
この世界には不要な存在はありません。
深く観察すれば、誰にでもその意味を知ることができます。
無駄に思えるものであっても、結局は無駄ではないのです。
知恵を以て見れば理解することができます。
得ようと思わなければ得ることができません。
掴まなければ掴めないのです。
多くの人は、当たり前のことでさえ忘れているのです。
知恵を得ようとしなければ得られないのです。
すべての存在が知恵によって生じたのであるから、すべての存在から知恵を得ることができます。
しかし、軽んじているためにそのような発想には至らないのです。
人は、自らに関連しているもの、必要だと思うものを学ぼうとします。
そして、関連していないと思えるもの、不要だと思うものは決して学ぼうとはしません。
しかし、知恵を得るということは、ある一方を学べば良いというのではないのです。
歪(いびつ)な車輪であっては、車は進まないのです。
車が滑らかに進むためには、車輪は綺麗な円形でなければなりません。
一方だけに知恵を傾けてはならないのです。
それが行き過ぎれば、車はその場を動くことができなくなるのです。
知恵は、全体に等しく行き渡る必要があるのです。
そのためには、好き嫌いで隔ててはならないのです。
多くの人はある他者を侮ります。
そして、ある状況に対しては軽んじるのです。
それは、車輪を歪にするのです。
人生に問題が生じ、苦悩を得るのは、車輪が歪んでいるからです。
知恵が偏(かたよ)っているのです。
道を進むためには、その道以外のことを知る必要があります。
専門的な知識だけであっては、金儲けはできても、道を進むことはできないのです。
金儲けが人生の目的なのでしょうか?
世界一の金持ちになったとして、あなたは満たされるのでしょうか?
あなたが世界一の金持ちになったとして、本当に人生に満足しているのでしょうか?
好きなことからは多くを学ぶことができます。
しかし、嫌いなことからも多くを学ぶことができるのです。
光から学ぶことと、影から学ぶことは同量ではありませんか?
侮ること、軽んじることをやめましょう。
それは有益ではありません。
多くの存在から、多くの知恵を得ましょう。
知恵を持たないものなど存在しないのです。
足元に転がる小石でさえ、知恵から生じたのです。
そのことを忘れてはならないでしょう。

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