あなたは何者をも侮ってはなりません。
	何事をも軽んじてはなりません。
	なぜなら、すべての存在が知恵によって生じたからです。
	知恵によって生じた存在は、知恵を所有しているのです。
	それは、その原因が知恵であるからです。
	多くの人は他者や様々な状況を軽んじています。
	それは、自分自身の価値観と合わないからです。
	気に食わないものを否定しては、小さな自尊心を保っているのです。
	無知がそのようにさせるのです。
	知恵のある者は、安易に軽んじることはありません。
	それがどのような存在であろとも、そこから学べることがあると知っているのです。
	何かを否定している人は、そこからは学べない(学ぶことはない)と考えています。
	それでは、その対象が持つ知恵を理解することができないのです。
	すべての存在が知恵の原因を所有しています。
	それを引き出すことができれば、知恵を得ることができるのです。
	嫌悪感を抱く対象であろうとも、それは知恵によって生じました。
	愚かに映る存在も、知恵によって生じたのです。
	この世界には不要な存在はありません。
	深く観察すれば、誰にでもその意味を知ることができます。
	無駄に思えるものであっても、結局は無駄ではないのです。
	知恵を以て見れば理解することができます。
	得ようと思わなければ得ることができません。
	掴まなければ掴めないのです。
	多くの人は、当たり前のことでさえ忘れているのです。
	知恵を得ようとしなければ得られないのです。
	すべての存在が知恵によって生じたのであるから、すべての存在から知恵を得ることができます。
	しかし、軽んじているためにそのような発想には至らないのです。
	人は、自らに関連しているもの、必要だと思うものを学ぼうとします。
	そして、関連していないと思えるもの、不要だと思うものは決して学ぼうとはしません。
	しかし、知恵を得るということは、ある一方を学べば良いというのではないのです。
	歪(いびつ)な車輪であっては、車は進まないのです。
	車が滑らかに進むためには、車輪は綺麗な円形でなければなりません。
	一方だけに知恵を傾けてはならないのです。
	それが行き過ぎれば、車はその場を動くことができなくなるのです。
	知恵は、全体に等しく行き渡る必要があるのです。
	そのためには、好き嫌いで隔ててはならないのです。
	多くの人はある他者を侮ります。
	そして、ある状況に対しては軽んじるのです。
	それは、車輪を歪にするのです。
	人生に問題が生じ、苦悩を得るのは、車輪が歪んでいるからです。
	知恵が偏(かたよ)っているのです。
	道を進むためには、その道以外のことを知る必要があります。
	専門的な知識だけであっては、金儲けはできても、道を進むことはできないのです。
	金儲けが人生の目的なのでしょうか?
	世界一の金持ちになったとして、あなたは満たされるのでしょうか?
	あなたが世界一の金持ちになったとして、本当に人生に満足しているのでしょうか?
	好きなことからは多くを学ぶことができます。
	しかし、嫌いなことからも多くを学ぶことができるのです。
	光から学ぶことと、影から学ぶことは同量ではありませんか?
	侮ること、軽んじることをやめましょう。
	それは有益ではありません。
	多くの存在から、多くの知恵を得ましょう。
	知恵を持たないものなど存在しないのです。
	足元に転がる小石でさえ、知恵から生じたのです。
	そのことを忘れてはならないでしょう。
	
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