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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年11月2日月曜日

”神”の業

存在するすべてのものは、必要性を所有しています。
それがどのようなものであろうとも、存在しているものには必要性が与えられているのです。
それは、”神”によって認められています。
あなたにそれを否定することはできません。
”神”が認めることがなければ、一切は存在することができません。
あなたの小さな価値観、正義感によって”神”を計ることなどできないのです。
あなたにとっての悪も、”神”にとっては愛であり、世界にとっては必要であるのです。
正義に対する悪とは、正義の状態によって変わる不安定なものです。
争う二人は、それぞれ自分が正義であると考え、それぞれが相手を悪であると考えています。
立場によって簡単に変わるものが、真であると言えるのでしょうか?
真とは、”神”に認められた理(ことわり)であるのです。
それは、真理であると覚えておかなければなりません。
存在するすべてのものは、”神”による必要性を満たしています。
不要なものは存在しません。
存在することができません。
”神”とは最高の知性形態であり、それが過ちを犯すことなどないのです。
”神”とは世界のルールそのものであり、ルールそのものが間違えることなど有り得ないのです。
”神”に間違いはありません。
”神”が認めているのです。
あなたにどうして、”神”を裁く力があるでしょうか?
一部であるあなたが、全体である”神”を裁くことなどできないのです。
善悪の隔たりを捨て、身勝手に裁くことをやめましょう。
すなわち、あなたはすべてを認めるということなのです。
”神”とは「すべて」です。
存在するすべてのものは、”神”に養われているのです。
”神”が養わなければ滅びてしまうのです。
空気がなければ、あなたはすぐに滅びます。
心臓がとまれば、それよりも早く決着が付くでしょう。
空気は誰が作ったのですか?
心臓は誰が動かしているのですか?
良く考えなければなりません。
すべては”神”の業(わざ)です。
存在するすべてが”神”の愛情の結果なのです。
すべての存在には意味があるのです。
そして、そこには価値があるということを覚えておきましょう。
”神”が養っているのだから、それを認める必要があるのです。
あなたが自らの正義を振りかざし、相手を悪人に仕立て上げ、それを否定するのであれば、人生や自分自身の意味や価値を理解することはできないでしょう。
あなたにとって、それがどのような相手であり、どのような状況であろうとも、必要には違いないのです。
そのため、あなたは誰も裁いてはなりません。
誰のことも訴え出てはならないのです。
すべては”神”によって一つに繋がっているのです。
誰かを訴え出るのであれば、”神”を訴えているのと同じことであるということを理解しましょう。
すべてが”神”であるからです。
自らの心地好い正義を信仰するあまり、人はすべてが”神”であるということを忘れます。
世界に争いが絶えないのはそのためです。
争いからは豊かさを期待することはできません。
分裂や破滅を実現しているのに、どうやって豊かさを得ることができるのでしょうか?
富んでいようと、貧しくあろうとも、このことを知らない者は争い繰り返し、苦悩を守るのです。
正義感によって、簡単に裁いてはなりません。
善悪の教えから解き放たれる時なのです。
すべてが大切な存在であり、必要性を与えられていると理解しなければなりません。
裁く者は裁かれます。
悪を裁く者は、その悪によって滅ぶということを理解しましょう。

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