存在するすべてのものは、必要性を所有しています。
それがどのようなものであろうとも、存在しているものには必要性が与えられているのです。
それは、”神”によって認められています。
あなたにそれを否定することはできません。
”神”が認めることがなければ、一切は存在することができません。
あなたの小さな価値観、正義感によって”神”を計ることなどできないのです。
あなたにとっての悪も、”神”にとっては愛であり、世界にとっては必要であるのです。
正義に対する悪とは、正義の状態によって変わる不安定なものです。
争う二人は、それぞれ自分が正義であると考え、それぞれが相手を悪であると考えています。
立場によって簡単に変わるものが、真であると言えるのでしょうか?
真とは、”神”に認められた理(ことわり)であるのです。
それは、真理であると覚えておかなければなりません。
存在するすべてのものは、”神”による必要性を満たしています。
不要なものは存在しません。
存在することができません。
”神”とは最高の知性形態であり、それが過ちを犯すことなどないのです。
”神”とは世界のルールそのものであり、ルールそのものが間違えることなど有り得ないのです。
”神”に間違いはありません。
”神”が認めているのです。
あなたにどうして、”神”を裁く力があるでしょうか?
一部であるあなたが、全体である”神”を裁くことなどできないのです。
善悪の隔たりを捨て、身勝手に裁くことをやめましょう。
すなわち、あなたはすべてを認めるということなのです。
”神”とは「すべて」です。
存在するすべてのものは、”神”に養われているのです。
”神”が養わなければ滅びてしまうのです。
空気がなければ、あなたはすぐに滅びます。
心臓がとまれば、それよりも早く決着が付くでしょう。
空気は誰が作ったのですか?
心臓は誰が動かしているのですか?
良く考えなければなりません。
すべては”神”の業(わざ)です。
存在するすべてが”神”の愛情の結果なのです。
すべての存在には意味があるのです。
そして、そこには価値があるということを覚えておきましょう。
”神”が養っているのだから、それを認める必要があるのです。
あなたが自らの正義を振りかざし、相手を悪人に仕立て上げ、それを否定するのであれば、人生や自分自身の意味や価値を理解することはできないでしょう。
あなたにとって、それがどのような相手であり、どのような状況であろうとも、必要には違いないのです。
そのため、あなたは誰も裁いてはなりません。
誰のことも訴え出てはならないのです。
すべては”神”によって一つに繋がっているのです。
誰かを訴え出るのであれば、”神”を訴えているのと同じことであるということを理解しましょう。
すべてが”神”であるからです。
自らの心地好い正義を信仰するあまり、人はすべてが”神”であるということを忘れます。
世界に争いが絶えないのはそのためです。
争いからは豊かさを期待することはできません。
分裂や破滅を実現しているのに、どうやって豊かさを得ることができるのでしょうか?
富んでいようと、貧しくあろうとも、このことを知らない者は争い繰り返し、苦悩を守るのです。
正義感によって、簡単に裁いてはなりません。
善悪の教えから解き放たれる時なのです。
すべてが大切な存在であり、必要性を与えられていると理解しなければなりません。
裁く者は裁かれます。
悪を裁く者は、その悪によって滅ぶということを理解しましょう。
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