すべての人は特別な才能を所有しています。
それは、自らに与えられた”仕事”を果たすためです。
すべての人が天才であり、天性の能力を授かっているのです。
無意味な人、無能な人は存在しません。
それぞれに能力は違うものですが、違うからこそ成り立つのです。
同じ能力を与えられているのであれば、全体が成り立つことはないのです。
大切なのは全体を成り立たせることです。
しかし、多くの人は個人を成り立たせるために必死です。
全体のことを考えるよりも先に、個人のことを考えています。
その考えは、他に依存する生き方を選択させています。
自分よりも大きなものに依存することによって、個人を発展させようとする者が多いのです。
個人が貢献することによって全体を発展させようとは考えません。
その結果、全体は力を失い、やがては滅びてしまうでしょう。
歴史を振り返らなければなりません。
怠慢(たいまん)が滅びを導くのです。
天とは、全体のことです。
天性とは、全体性です。
あなたに与えられた才能、脳力は、全体のためにこそあるのが自然なのです。
天職とは、天の仕事です。
それは、個人の仕事でもなければ、人のための仕事でもありません。
人は全体という天に対して働かなければ、天職を得ることはできないのです。
どのような仕事を選択しようとも、それが個人(自分)のためであったり、人のためであれば、天職には成り得ないでしょう。
天のために仕事をするから、天職であるのです。
多くの人はこのことを知りません。
個人のため、人のために天職を探しているのです。
そのようなものは見付かりません。
そのようなものは存在しないのです。
天職とは、人に最高の喜びを導くものです。
地位や名誉、金銭や物品のために働くことに喜びを見出している間は、天職を得ることはできません。
天職とは、それ等地上の価値を超越した人が得るものであるからです。
多くの人は天のために働こうとはしません。
”神”を謳(うた)っている宗教家は、天のために働いているでしょうか?
彼等は偽善者であり、詐欺師です。
”神”を謳いながら、自分のために働いているからです。
報酬を気にすることなく働くことができるでしょうか?
報酬を求める仕事は天職ではないのです。
そのような小さな価値観に捉われない仕事こそが天職であるのです。
このように話すと、何の報酬をも受け取らないという極論を持ち出す者がいますが、それは浅はかです。
報酬を期待し、それを原動力とする仕事であってはならないと言っているのです。
純粋な喜びのために働くのが天職であって、報酬のために働くのは天職ではないのです。
天のために働くのであれば、天からの報酬が与えれられるのです。
天職を得るために何かを心配する必要などないのです。
報酬を受けない仕事など存在しないのです。
あなたが天職を得たいと考えているのであれば、地上の小さな価値観によって仕事をするのをやめましょう。
心の赴(おもむ)くままに、好きなことを仕事にしましょう。
好きなことを仕事にしてはいけないという人がいるでしょう。
それは、好きなことを仕事にすることで嫌いになるからという主張です。
あなたは彼等に騙(だま)されてはなりません。
仕事として真剣に向き合った結果嫌いになる程度のものであれば、初めから好きでも何でもないのです。
好きだと思い込んでいるだけのことなのです。
あなたの天性、才能を、あなたが嫌いになることなど有り得ません。
なぜなら、あなたはその天性、才能を使うために生まれたからです。
自らの能力を使う時にだけ、真の喜びを得ることができるのです。
能力を使ってもいないのに、真の喜びが得られるはずがないのです。
天職を得ない限りは、決して幸福にはなれません。
すべての人は天から与えられた才能を所有しています。
自らの天性に気付かなければなりません。
報酬など気にならないことを仕事にしましょう。
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