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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年11月30日月曜日

新機軸

すべての存在には、必要に応じた役割が与えられています。
すべての存在がこの世界において活動しているために、その役割を否定することはできません。
与えられた役割に関しては、それを認識しているか?認識していないか?ということは問題ではありません。
それが全体的な意識状態であろうとも、個人的な意識状態であろうとも、すべての行為には必要な意味が現れるのです。
善悪は立場による価値観でしかなく、それによって必要不要を断言することはできません。
あなたの選択が、最終的にどのような効果を実現するかは、その時になってみなければ分からないのです。
善悪によって判断するのであれば、限定的に判断することになります。
それは、人が理性によって選択しているのではなく、不安定な感情によって選択しているに過ぎないからです。
善悪とは、感情論に過ぎないのです。
善悪とは、主観を通して現れる偏見に過ぎません。
主観を通して見るために、善と悪という二つの状態が別々に現れるのです。
主観を通して見なければ、善悪が別々に現れることはなく、その二つを兼ね備えた本質が現れるのです。
立場によって善悪が分かれるのであれば、その対象には善と悪の双方の性質があるのです。
主観の数によって現れる状態のすべてが、それの本質を現しているのです。
あなたが”赤”という色を判断する場合、他者と同じ色を判断しているとは限らないのです。
他者は、その”赤”をあなたよりも濃い色や薄い色合いとして認識している可能性があるのです。
あなたにはその判断はできませんが、一つの対象を完全に同じものとして認識していることはないのです。
それは、判断基準がそれぞれの背景を参考にしているからです。
背景とは、経験や知識や知性や思想などです。
その人を構成するすべての要素が、判断基準となるのです。
背景は人によって違うので、その判断は違うものとなるのです。
あなたの判断とは、本質に対して不安定なものであり、偏見そのものであるということが言えるのです。
どれだけ自分を正当化しても、すべての”角度”を手に入れることはできません。
そのため、与えられた役割を認識しているか?認識していないか?ということは問題ではないのです。
問題なのは、与えられた役割を果たさずにいることにあります。
与えられた役割を正確に認識することはできません。
しかし、現状において自らがやらなければならないことや、できることを認識することは可能です。
多くの人は、やらなければならないこと、できることを蔑(ないがし)ろにしている傾向があるのです。
それは、恐怖や諦め、そして、甘えによってです。
多くの人は恐怖や諦めや甘えを所有しています。
それ等の価値観によって、視点は限定的になります。
何か一つの状態に捉われてしまえば、視野は狭くなり、固まってしまうのです。
そうなれば、例えば善悪による判断が生じるようになるのです。
広い視野は、捉われないことによって生まれるのです。
全体的に見なければ、本質を理解することはできません。
購入した花瓶の側面は、美しい造形や色艶(いろつや)や値段だけではないのです。
それを販売する店舗、業者、製造に携わる人たち、そして、原材料とそれを育んだ自然・・・
ただの花瓶であっても多くの側面を持っており、それは価値観によっては善悪に分かれるのです。
花瓶一つであっても、様々な役割によって実現しているということを理解しましょう。
花瓶という結果を生み出すためには、多くの役割が必要となるのです。
この世界には常に多くの結果が導かれています。
その結果を導くために、すべての存在には必要な役割が与えられているのです。
この世界が花瓶という結果を求めるならば、その結果を生み出すために役割が与えられるのです。
土に、水に、火に、風に、人に・・・
花瓶という結果のために必要な存在に対して、必要な役割が与えらえるのです。
しかし、土や水や火や風には、自らの役割を認識することができないかも知れません。
しかし、それ等の役割無くして、花瓶という結果は決して導かれないのです。
あなたは、自らに与えられた役割の意味を理解することはできないかも知れません。
しかし、それは必要であるために与えられているのです。
今、自分がやらなければならないことや、できることは、何かしらの結果を導くために必要な働きとなるのです。
あなたには、結果がいつ、どのような形で実現するかは分からないでしょう。
しかし、それは確実に実現するのです。
土と水、火と風、そして人が手を抜いていれば、良い花瓶は生み出されないのです。
花瓶という結果は生じますが、褒(ほ)められない駄作(ださく)が生じるのです。
この世界にも同じことが言えます。
未来がどうなるか分からないからといって、懸命に生きない者がいます。
そのような者が携わった結果は、決して褒められたものにはならないのです。
何のためになるかは分からずとも、今やらなければならないことや、できることに手を抜いてはなりません。
懸命に努力していましょう。
新機軸(しんきじく)は、一つ一つの質の高まりによって実現するのです。

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