人の行く道は、それぞれに違うものです。
すべての人には、それぞれに応じた役割が与えられています。
それを知っている者もあれば、それを知らずにいる者もいます。
どのような状態であろうとも、人はそれぞれの道を所有しているのです。
すべての人が自らの道を進みます。
人生というものは、道であるからです。
それは、生き方とも言えるでしょう。
どのように生きるのか?ということが、どのような道を歩むのか?ということなのです。
道の先には目的地が存在しています。
どの道を進んでも、終着には必ず目的地が存在しているのです。
そのため、すべての人が何かしらの終着を得るのです。
それは、道の結果です。
すべての人は、自らの生き方によって、その結果を得るのです。
生き方が自らにとって良いものであれば、目的地を喜ぶでしょう。
しかし、その生き方が自らにとって悪いものであれば、目的地に苦しむことになるのです。
悪いものとは”毒”のことです。
毒を飲めば、その効力によって苦悩を得ることになります。
間違った生き方をすれば、その効力によって苦悩を得ることになるのです。
人それぞれに道は違います。
これは、あなたにとって良いか?悪いか?ということなのです。
他人と比較して理解することができるものではありません。
見極めるのに必要なのは、自らの心だけです。
そこに矛盾が存在しているのであれば、それは自らにとって悪いものとなります。
人は矛盾を抱えて生きてはならないのです。
矛盾と道を共にする者がいますが、必ず苦悩に辿り着くのです。
矛盾を連れて喜びに辿り着く者はいません。
なぜなら、矛盾とは、道に迷っている状態であるからです。
道に迷っていなければ、心に矛盾を覚えることもないのです。
間違っていると知っている(感じている)ために、矛盾を抱えるのです。
そのため、矛盾を感じるのであれば、一旦歩みを止める必要があるでしょう。
歩むのを止めて、冷静に顧(かえり)みる必要があるのです。
そうでなければ、矛盾を抱えたまま道を進んでしまうことになります。
自らにとって間違った道を進むのに、どうして喜びに向かうことができるでしょう。
多くの人は矛盾を抱えたままで歩みます。
その矛盾に気が付いていながらも、その歩みを止めることも、道を変えることもしないのです。
不安によって恐れているために勇気がなく、道を改めることができないのです。
多くの人が惰性(だせい)によって生きています。
環境や状況、時代が変わったにもかかわらず、既成概念(きせいがいねん)から離れようとはしないのです。
その”船”が沈んでいるにもかかわらず、それに乗っていれば目的地に辿り着くと本気で思い込んでいるのです。
これほど哀(あわ)れなことはありません。
既に船は傾き、足元には水が迫っているのです。
そのような状況であっても、そこから離れようとはしないのです。
冷静に考える必要があります。
これまでと同じように生きることなど不可能なのです。
頑(かたく)なに生きてはなりません。
自らの道がどのようなものであるのか?ということを追求し続ける必要があります。
その生き方が他人とは別のものであったとしても、それが自らにとって正しいのであれば、それを貫(つらぬ)くべきなのです。
矛盾を抱えながら生きてはなりません。
それは、あなたの毒となります。
一般的な善悪などどうでも良いのです。
矛盾を抱えていても、習慣によって隠されてしまいます。
矛盾に対して無頓着(むとんちゃく)であれば、いつしかその矛盾を忘れてしまうのです。
元々の矛盾を忘れてしまえば、その状態が正しいという思い込みが生じます。
本来ならば毒となるものを薬として認識してしまうのです。
麻痺(まひ)してはなりません。
自らの心の中の矛盾を許してはなりません。
本当に大切にしなければならないものが何であるのか?ということを考え続けましょう。
矛盾を忘れてはなりません。
あなたは正しい道を進まなければならないのです。
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