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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年11月23日月曜日

教訓

人は教訓を得なければなりません。
教訓は、あなたを人たらしめるでしょう。
教訓を得なければ、人が人であることはできません。
教訓を持たないそれは、理性を失った獣のようなものです。
獣とは、野生動物のことではありません。
野生動物は、理性的に生きているのです。
彼等には無駄(自我)はありません。
すべての野生動物が集合意識に寄り添って存在しているのです。
そのため、彼等の築く社会(自然界)は豊かに栄えるのです。
獣が築く社会が豊かに栄えることはありません。
それは、教訓を軽んじるからです。
教訓を軽んじることは、理性を離れ、欲望のままに生きることに繋がります。
欲望のままに生きるということは、奪い合うという生き方なのです。
奪い合う社会構造が、豊かさを導くことはありません。
互いに争うことによって滅びるのです。
教訓を軽んじる者が多いのです。
理性を離れ、欲望のままに生きる者が多いのです。
多くの人は人に非(あら)ず、獣として生きています。
獣とは思慮の無い、人成らざる者のことです。
人とは、思慮深い者のことです。
思慮に欠けるのであれば、獣に近いのです。
それは、周囲の環境を破壊しながら、我が物顔で居座るのです。
あなたはそのように生きてはなりません。
教訓を重んじ、自らを人たらしめるのです。
理性を離れてはなりません。
奪い合ってはなりません。
欲してはなりません。
与えなければならないのです。
与えるという行為は、理性の成せる業(わざ)です。
理性が存在しなければ、与えることはできないのです。
野生動物は、弱い者に与えます。
彼等は実に理性的です。
人の姿をした獣が与えることはあるでしょうか?
残念ながらありません。
利益のためにそのように振る舞うことはありますが、利益のための振る舞いであって、弱い者を助けるためではないのです。
教訓とは、真理です。
すべての教えは真理を伝えるのです。
そのため、人は教訓を重んじなければなりません。
因果の仕組みは大切な教訓です。
すべての結果は原因に起源します。
原因の無い結果など存在しないのです。
与えれば与えられ、奪えば奪われます。
原因に対して、その通りの結果が導かれます。
教訓を得ない者は、そのことを知りません。
そして、思慮を失うのです。
しかし、一人前に豊かさを求めています。
しかし、教訓を持たないために豊かさを得ることはできないのです。
あなたが豊かさを得たいと願うのであれば、教訓を得るように心掛けましょう。
教訓は自力によって得る必要があります。
世界は常にあなたに教え諭(さと)しています。
しかし、それに気が付くことがなければ、教訓を得ることは叶いません。
何事に対しても、思慮深く観察しなければなりません。
欲するだけでは決して気付きません。
与えるために欲すれば、あなたは教訓を得ることができるでしょう。
即(すなわ)ち、真理に気付くことができるのです。
動機は、与えるためとしておきましょう。
それは、理性を離れることがありません。
何を与えることができるかを考え、どのような教訓を得ることができるのかを考えましょう。

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