人は教訓を得なければなりません。
教訓は、あなたを人たらしめるでしょう。
教訓を得なければ、人が人であることはできません。
教訓を持たないそれは、理性を失った獣のようなものです。
獣とは、野生動物のことではありません。
野生動物は、理性的に生きているのです。
彼等には無駄(自我)はありません。
すべての野生動物が集合意識に寄り添って存在しているのです。
そのため、彼等の築く社会(自然界)は豊かに栄えるのです。
獣が築く社会が豊かに栄えることはありません。
それは、教訓を軽んじるからです。
教訓を軽んじることは、理性を離れ、欲望のままに生きることに繋がります。
欲望のままに生きるということは、奪い合うという生き方なのです。
奪い合う社会構造が、豊かさを導くことはありません。
互いに争うことによって滅びるのです。
教訓を軽んじる者が多いのです。
理性を離れ、欲望のままに生きる者が多いのです。
多くの人は人に非(あら)ず、獣として生きています。
獣とは思慮の無い、人成らざる者のことです。
人とは、思慮深い者のことです。
思慮に欠けるのであれば、獣に近いのです。
それは、周囲の環境を破壊しながら、我が物顔で居座るのです。
あなたはそのように生きてはなりません。
教訓を重んじ、自らを人たらしめるのです。
理性を離れてはなりません。
奪い合ってはなりません。
欲してはなりません。
与えなければならないのです。
与えるという行為は、理性の成せる業(わざ)です。
理性が存在しなければ、与えることはできないのです。
野生動物は、弱い者に与えます。
彼等は実に理性的です。
人の姿をした獣が与えることはあるでしょうか?
残念ながらありません。
利益のためにそのように振る舞うことはありますが、利益のための振る舞いであって、弱い者を助けるためではないのです。
教訓とは、真理です。
すべての教えは真理を伝えるのです。
そのため、人は教訓を重んじなければなりません。
因果の仕組みは大切な教訓です。
すべての結果は原因に起源します。
原因の無い結果など存在しないのです。
与えれば与えられ、奪えば奪われます。
原因に対して、その通りの結果が導かれます。
教訓を得ない者は、そのことを知りません。
そして、思慮を失うのです。
しかし、一人前に豊かさを求めています。
しかし、教訓を持たないために豊かさを得ることはできないのです。
あなたが豊かさを得たいと願うのであれば、教訓を得るように心掛けましょう。
教訓は自力によって得る必要があります。
世界は常にあなたに教え諭(さと)しています。
しかし、それに気が付くことがなければ、教訓を得ることは叶いません。
何事に対しても、思慮深く観察しなければなりません。
欲するだけでは決して気付きません。
与えるために欲すれば、あなたは教訓を得ることができるでしょう。
即(すなわ)ち、真理に気付くことができるのです。
動機は、与えるためとしておきましょう。
それは、理性を離れることがありません。
何を与えることができるかを考え、どのような教訓を得ることができるのかを考えましょう。
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