あなたは”初めの仕事”を手放してはなりません。
	どれだけの経験を重ね、どれだけの弟子を従えようとも、”初めの仕事”を手放すほど愚かな行為はないのです。
	”初めの仕事”とは、その仕事に当たって必ずしなければならない作業のことです。
	言うなれば基本のことです。
	それは、料理で言う所の出汁(だし)であり、畑仕事で言う所の鍬打(くわう)ちであるのです。
	避けては通れない作業は、その仕事の根幹(こんかん)です。
	根幹となる基本を手放すということは、仕事を手放すことに等しいのです。
	多くの人は”偉い人”へと変わります。
	傲慢(ごうまん)、怠慢(たいまん)、慢心(まんしん)などのように、自らを尊大にするのです。
	人は、”偉い人”に成り得るのでしょうか?
	あなたは偉いのでしょうか?
	あなたの知っている”偉い人”は、本当に偉いのでしょうか?
	人は、相手の主張を受け入れてしまいます。
	相手が自らの尊大さを主張するのであれば、多くの人はその通りであると考えるのです。
	初めはそのようには思えなくても、継続して主張を受ければ、そのように思い込んでしまうのです。
	自らを尊大にする者は、”初めの仕事”を手放している者です。
	それは、愚者以外の何者でもありません。
	横柄な態度によって、自らを権威付(けんいづ)けしているだけなのです。
	偽りのものに力はありません。
	力とは、真に宿るからです。
	”初めの仕事”とは、その仕事の真です。
	出汁を用いない料理に、あなたは真を見ることができるでしょうか?
	鍬打ちを止めた農夫が作る作物に、あなたは真を見ることができますか?
	表面を飾ることは容易いのです。
	それは、多くの愚者を引き付けます。
	愚者には、偽りであっても魅力的に見えるのです。
	しかし、賢者には通用しません。
	賢者は簡単に見極めてしまいます。
	”初めの仕事”をしていないことは、賢者には見抜かれてしまうのです。
	愚者の王になることと、賢者の民になることには大きな違いがあるのです。
	あなたはどちらを選ぶでしょうか?
	多くの人は愚かに振舞います。
	小さな自尊心に見栄を張るあまり、”偉い人”になってしまうのです。
	”偉い人”を称(たた)えるのは愚者だけです。
	”偉い人”は簡単に愚者の王となります。
	そして、その地位を気に入り、愚行を続けるのです。
	しかし、愚者の王は、自らが王であるために、自らの愚行に気が付きません。
	それは、自らを称える大勢の愚民がいるために、いつまでも自覚することができないのです。
	愚者の王は、因果の仕組みによって耐え難い苦悩が導かれるまでは、自らの行為が愚行であったことにさえ気が付くことはできないでしょう。
	あなたは”偉い人”になりたいですか?
	愚者の王として生きることも、賢者の民として生きることも可能です。
	どちらの国もあなたを簡単に受け入れます。
	選択は、あなた次第なのです。
	あなたが賢者の民として豊かに生きたければ、”初めの仕事”を手放してはなりません。
	どれだけの経験を重ね、どれだけの弟子を従えようとも、”初めの仕事”から初めなければならないのです。
	謙虚であることは、あなたがその仕事に仕えることを許します。
	多くの人は誤解していますが、あなたが仕事をしているのではありません。
	あなたが仕事に仕えているのです。
	仕事が許さなければ、あなたはそれを続けることはできません。
	仕事に対しての謙虚な気持ちを大切に育まなければなりません。
	大抵の人が謙虚な気持ちを忘れています。
	はっきりと言っておきますが、あなたの代わりなどいくらでもいるのです。
	あなたが使い物にならなければ、仕事は別の者に任せるということを覚えておきましょう。
	仕事に仕えることができる喜びを忘れてはなりません。
	
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