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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年11月27日金曜日

主人と客人

この世は誰の所有でしょうか?
この世の所有者は、それを統べる者です。
この世の司(つかさ)こそが、この世の主人であるのです。
あなたはこの世を司る者を知っていますか?
それはすなわち、あなたの心臓を鼓動させ、水が地に降り海に溜まることを行う者です。
その者こそが、この世の統治者であり、司なのです。
多くの人は、それを”神”と呼びます。
それは、この世の理(ことわり)です。
法則や規則と呼んでも構いません。
呼び方は何でも良いのです。
この世を統べる力こそが、この世の主人です。
主人の許しがなければ、誰も門を潜ることはできません。
主人の許しがなければ、誰も家屋に上がることはできません。
主人の許しがなければ、誰もこの世には至らないのです。
すべての存在は、主人である”神”の許しによってこの世に至りました。
誰一人として、無断で上がり込んだ者はいません。
そのようなことは、誰にも許されないのです。
そのため、この世におけるすべてが必要によって満たされています。
存在するすべては、”神”の客人であるからです。
しかし、客人であるからといって、好き勝手に振る舞うことは許されません。
あなたが客人として他人の家に招かれたからといって、自らが主人のように振る舞うことが許されるでしょうか?
その家の主人に力があるのならば、あなたが初め客人として招かれたとしても、戒(いまし)めを以て抑え止められるでしょう。
この世の主人も、好き勝手に振る舞う客人には同じことをします。
ただし、その者が自分の立場を正しく理解するために最善の方法と時期を用いて行います。
すべての者は、自分が”神”の客人であるということを悟らなければなりません。
なぜなら、あなたにはこの世をどうすることもできないからです。
家の仕来(しきた)りを、主人以外の誰かが変えることができるでしょうか?
そのようなことは不可能です。
客人が何かを主張したところで、家の者がそれを聞き入れるでしょうか?
そのようなことはありません。
客人は客人として振舞わなければならないのです。
多くの人は無知から、自分が主人であると思い込んでいます。
そのために、自惚れと高ぶりに陥ります。
また、それとは反対に、自己批判と自己憐憫(じこれんびん)に陥ることもあるのです。
どちらも、自分を主人であるとする振る舞いから生じる身勝手な行為なのです。
人はなぜ、自分の立場を理解しないのでしょうか?
この世に招かれたことを知らず(忘れ)、自らを主人とするのでしょうか?
その家の主人と多くの客人の前で、自分こそがこの家の主人であると主張するのは間違いです。
それは、主人からの憐れみを受け、他の客人の嘲笑(ちょうしょう)の的になってしまうでしょう。
愚かな者には自分の立場を理解することができないのです。
主人と多くの客人の前で、自らが主人であると宣言するのです。
その客人は、主人を偽る者と呼ばれ、主人に逆らって立ちます。
主人は、それを客人に対して無礼にならないように悟らせようとするのです。
客人が”酒に酔って”、自分が主人であると叫んだところで、怒りを以て戒めるような真似はしません。
それは、その客人が”酒に酔っている”ことを知っているからです。
主人は、ありとあらゆる持て成しをします。
客人は自分の好きなように楽しむことができるのです。
招かれた食卓には、”水”と”酒”が用意されています。
それ等は良く似ています。
しかし、良く観察すればその違いを理解することができるのです。
どちらを飲んでも構いません。
しかし、その選択によって招かれた時間がどのようなものになるのか?ということが決まるのです。
”水”によって料理を味わうも良し、”酒”によって醜態(しゅうたい)を晒すのも良いのです。
それは、自分で決めれば良いでしょう。
しかし、この世の主人が誰であるのか?ということを見失ってはなりません。
自らが客人の一人に過ぎないということを覚えておきましょう。

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