すべての人には役割が与えられています。
	すべての人が自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
	役割とは、目の前の仕事として導かれます。
	どのように小さな仕事であろうとも、自らが行わなければならない仕事であるのならば、何をおいてもそれを果たさなければなりません。
	他人がその役割を果たすことはありません。
	自らに与えられた役割は、他人に与えられた役割ではないからです。
	多くの人は、自らの役割を知りません。
	やらなければならない仕事があるにもかかわらず、それを自らの役割であるとは認識していないのです。
	その結果として、甘えが生じます。
	甘えは腐れです。
	それは、苦悩を導くに容易(たやす)いのです。
	多くの人は甘えを所有しています。
	なぜなら、自らの役割を自力によって果たそうとするよりも、他人に任せ、依存することによって果たそうと考えているからです。
	自力によって目の前の問題を解決しようと考え、実行している者がどれだけいるでしょうか?
	多くの者は他人を頼るのです。
	他人を頼ることが悪いと言っているのではありません。
	自力によって及ばない部分を助力してもらうことは構いません。
	しかし、自らの仕事を果たす努力に励(はげ)む前に、他人の力を当てにするのです。
	耐えることと、努力することは違います。
	耐えることは、ただ受けることであり、努力することは創意工夫によって可能性を広げることなのです。
	多くの人は耐えることを努力と考えます。
	苦しみに耐えている自分を褒(ほ)めようとし、他人のところに出向いては褒めてもらおうとするのです。
	耐えることなど誰にだってできるのです。
	それは特別なことではありません。
	野に咲く小さな花でさえ、嵐に耐えます。
	あなたはそれを褒めるでしょうか?
	苦しみに耐えることを賞賛(しょうさん)する必要はありません。
	なぜなら、それは当然のことだからです。
	当然のことをしているのに、どうして賞賛される必要があるのでしょうか?
	苦しみの中にあって、それを切り開く努力こそが賞賛されるべきなのです。
	結果など気にする必要はありません。
	思い通りの結果など、人生においては必要ではないのです。
	なぜなら、あなたの理想ほど信用ならないものはないからです。
	すべての人は未熟であり浅はかです。
	未熟者の理想を賞賛することができるでしょうか?
	あなたは知恵の無い者が理想を語るのを聞いて、それを褒めることができるでしょうか?
	あなたに知恵があれば、寧(むし)ろ、それを窘(たしな)めることでしょう。
	例えば、盗みを働いて喜んでいる者に対して、賢者は忠告するのです。
	知恵の無い者にとっては、盗品は喜びの味であり、賢者にとっては毒となるからです。
	理想に従って生きても、別の結果を受けることになるのです。
	そのため、理想を頼りにすることはできないのです。
	あなたは自らの役割を知らなければなりません。
	やらなければならない仕事を疎(おろそ)かにしてはなりません。
	愚かな者は、自らの仕事を放り出して遊び耽(ふけ)ります。
	しかし、それが正しいことだと思い込んでいるため、そこには罪悪感などはありません。
	そして、愚かさは増していくのです。
	自分を正当化すれば、人は大切なものを見失います。
	与えられた仕事を果たすことなく、どうやって幸福を得るのでしょうか?
	仕事が進んでないことを弾劾(だんがい)されるのは、与えられた仕事をせずに遊んでいた者であるのです。
	すべての仕事には、主人がいます。
	どのような仕事も必ず、主人によって審査(しんさ)されるのです。
	自分勝手な仕事などこの世には存在しません。
	仕事の主人は、それを評価するすべての存在です。
	あなたの仕事ぶりは、必ず評価を受けます。
	それを避けることはできません。
	後に悔いることのないように懸命に働いておきましょう。
	仕事を疎かにしてはなりません。
	
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